世界のスポーツ経済2.3兆ドルを脅かす気候変動:日本が直面する5,170億ドルの損失リスク
オリバー・ワイマンの最新報告によると、2026年現在2.3兆ドル規模の世界スポーツ経済は2050年に8.8兆ドルへ成長する見込みだが、気候変動により最大1.6兆ドルが失われる可能性がある。日本では熱中症搬送が16年で4倍に増加し、Jリーグの試合中止も急増。スポーツツーリズムが成長の60%を占める中、異常気象は産業基盤そのものを揺るがしている。
世界のスポーツ経済が岐路に立っている。オリバー・ワイマンが2026年2月に公表した報告書によれば、現在2.3兆ドル(約345兆円)規模の市場は2050年に8.8兆ドルへ拡大する見込みだが、気候変動により最大1.6兆ドル――日本円で約240兆円相当――が失われる可能性がある。熱波、洪水、降雪不足。異常気象は既に日本のスポーツ現場を蝕んでいる。Jリーグでは試合中止が急増し、子どもが人工芝で火傷を負う事例まで報告された。成長の60%を占めるスポーツツーリズムは、同時に膨大な環境負荷を生む矛盾も抱える。「100年後にサッカーができるかは私たち次第」――Jリーグ執行役員の言葉が、産業の存続をかけた選択を迫っている。
2.3兆ドル市場が直面する「存続の危機」:オリバー・ワイマン報告が示す衝撃の数字
世界のスポーツ産業は、いま歴史的な転換点に立たされている。2026年時点で2.3兆ドル規模と推計されるこの市場は、2030年までに3.7兆ドル、2050年には8.8兆ドルへと急拡大する見通しだ[1]。年率10%の成長が予測されるこの産業は、放映権やスポンサーシップといった従来の収益基盤に加え、スポーツツーリズムや参加型スポーツ、ウェアラブル技術など多様なセグメントを抱え込み、グローバル経済の重要なエンジンとしての地位を固めつつある[2]。しかしその成長シナリオには、見過ごせない前提条件がある。気候が安定していること、そして自然環境が持続可能であることだ。
だが現実には、その前提が急速に揺らいでいる。経営コンサルティング会社オリバー・ワイマンが世界経済フォーラムと共同で発表した報告書「Sports for People and Planet」は、気候変動と自然環境の劣化が、スポーツ産業の成長を根底から脅かしていると警告した[1][2]。報告書の作成には5,000時間以上が費やされ、主要リーグ、投資家、スポンサー、世界スポーツ用品工業連盟などから収集したデータが精緻に分析されている[1]。その結果明らかになったのは、2030年までに最大5,170億ドル、2050年には1.6兆ドルに上る潜在的な収益損失リスクという、衝撃的な数字だった[2]。
損失の要因は多岐にわたる。極端な熱波、洪水、降雪不足、大気汚染といった異常気象は、競技大会の中止や延期を引き起こし、メディア放映権収入と広告収入を直撃する[1][5]。プロスポーツの収益の90%以上が屋外競技の放映権から生まれ、スポンサーシップ収入の76%が屋外イベントに依存している現状を考えれば、気候リスクは産業の収益構造そのものを揺るがす[1]。さらに、英国だけでも悪天候によるコミュニティスポーツの収入損失とメンテナンスコストは年間3億2,000万ポンド(約4億3,300万ドル)に達しており、grassroots レベルでも影響は深刻化している[1]。
スポーツ産業の内訳を見ると、リスクの広がりが一層鮮明になる。エリートスポーツ部門は1,400億ドル規模にとどまるが、スポーツツーリズムは6,720億ドル、スポーツ用品市場は6,120億ドルと、いずれも桁違いの規模を誇る[1][5]。特にスポーツツーリズムは、2030年までのスポーツ経済全体の収益増加の60%を牽引する最大の成長ドライバーと位置づけられている[1][5]。だがこのセグメントは、国際的な大規模イベントを中心に展開されるため、航空移動、宿泊施設、大型インフラといった資源集約型の要素が不可避であり、環境負荷が極めて大きい。2025年に閉幕したミラノ・コルティナ大会のような冬季イベントは、降雪不足という気候変動の直接的影響を受けやすく、持続可能性との矛盾を象徴する存在となっている[1]。
オリバー・ワイマンのパートナーでグローバルスポーツ産業責任者を務めるトニー・シンプソン氏は、「スポーツは他のどのセクターよりも行動変容を促す力を持っている。なぜならスポーツは自らをコミュニティ資産と位置づけているからだ。そしてコミュニティ資産であるなら、その責任を果たす必要がある」と指摘する[1]。彼の言葉が示すのは、スポーツ産業が単なる経済主体ではなく、社会的インフラとしての役割を担っているという認識だ。医療費の削減、ジェンダー平等の推進、若年層の運動習慣の形成——こうした公共的価値を生み出す存在であるがゆえに、気候変動への対応は産業の存続そのものに関わる課題となる。報告書が提示する数字は、単なる経済予測ではない。それは、スポーツが社会にもたらす価値全体が、気候危機によって失われる可能性を示す警告なのである。
日本のスポーツ現場で進行する「見えない危機」:熱中症4倍、試合中止急増の実態
日本のスポーツ現場では、気候変動による影響がすでに深刻な実害として表れている。消防庁の統計によれば、熱中症による救急搬送者数は2008年から2024年にかけて4倍以上に増加し、スポーツ活動中の搬送も急増している[4][6]。この数字は、もはや気候変動が「将来の懸念」ではなく、今この瞬間に選手やファンの生命を脅かす現実であることを示している。特に子どもたちの競技環境では、真夏の人工芝グラウンドで足の裏にやけどを負い、試合に出られなくなるケースまで報告されており、安全にスポーツを楽しむという最低限の前提が崩れつつある[4]。Jリーグ特任理事を務める元日本代表MF中村憲剛氏は、「選手生命を削ってトレーニングや試合をしていた」と現役時代を振り返り、指導者として子どものサッカーに関わる現在では「自分が体感したことのない暑さ、危険を感じる」と証言している[4]。
競技環境の悪化は、屋外スポーツ全体に及んでいる。Jリーグでは2018年以降、台風や線状降水帯による試合中止が急増しており、年間約1,200試合という過密日程の中で、天候起因の中断がスケジュール全体に波及するリスクが高まっている[4][6]。試合当日の急な中止は、チケットを購入したファン、遠征してきたサポーター、放送スケジュールを組んだメディア、スポンサー企業のすべてに経済的・精神的損失をもたらす。こうした事象の積み重ねが、スポーツビジネス全体の予測可能性を損ない、長期的な投資判断を困難にしている。気候変動は試合の「質」だけでなく、興行としての「安定性」そのものを脅かしているのだ。
現役時代に日本代表として世界と戦った中村氏は、現在の状況を「命にかかわるレベル」と明言し、子どもたちの安全を最優先すべきだと警鐘を鳴らす[4]。同じくパネルディスカッションに参加した元ラグビー日本代表の五郎丸歩氏は、さらに踏み込んだ懸念を示した。「十分なケア体制がない子どもたちのスポーツ環境はよりいっそう過酷」であり、このままでは「親が子どもにスポーツをさせない選択をする可能性もある」と指摘したのだ[4]。この発言は、気候変動が単にプロスポーツの興行リスクにとどまらず、次世代の競技人口そのものを減少させ、スポーツ文化の基盤を根底から揺るがす構造的危機であることを示唆している。
東京大学未来ビジョン研究センターの江守正多教授は、気候科学者の立場から「人間の影響による世界的な温暖化は『疑う余地がない』というのが現在の科学の結論」と断言し、今後の気温上昇によるスポーツへの影響として、降雪地帯の減少や少雪、酷暑や大雨などがさらに深刻度を増すと警鐘を鳴らしている[6]。スキージャンプの髙梨沙羅選手が「雪がないと競技自体ができない」と訴えるように、ウィンタースポーツは存続の瀬戸際に立たされている[4]。江守教授はさらに、スポーツが気候変動の「被害者」であると同時に「加害者」でもあると指摘する。スタジアムに人が集まり、選手やファンが移動し、照明や空調を使用する限り、スポーツ活動そのものがエネルギーを消費し、環境に負荷をかけ続ける[6]。この二重性を直視し、当事者としての責任を引き受けることが、日本のスポーツ界に突きつけられた喫緊の課題である。
スポーツツーリズムの成長とジレンマ:拡大する市場と拡大する環境負荷
スポーツツーリズムは、世界のスポーツ経済の中で最も急速に成長している領域である。オリバー・ワイマンの報告書によれば、スポーツツーリズムの市場規模は年間6,720億ドルに達し、2030年までにスポーツ経済全体の収入増加分の60%を占める見込みだ [1][3]。エリートスポーツ部門の1,400億ドル、スポーツ用品の6,120億ドルと比較しても、その存在感は圧倒的である [3]。国際的なスポーツイベントを目的とした観客の移動、宿泊、消費が生み出す経済効果は、スポーツ産業全体を牽引する原動力となっている。しかし、この急成長の裏側には、深刻な環境負荷の増大という矛盾が横たわっている。
2026年2月に閉幕したミラノ・コルティナ冬季オリンピックは、その象徴的な事例である。数万人規模の観客と選手団の国際移動、複数の競技会場を結ぶ輸送インフラ、短期間に集中する宿泊施設の利用——これらすべてが膨大なCO2排出を引き起こす [1]。オリバー・ワイマンのグローバルスポーツ産業責任者トニー・シンプソン氏は、「資源を大量消費する国際大会によって成長が牽引されている現状」を指摘し、スポーツ産業が気候変動を加速させるリスクに警鐘を鳴らしている [1]。スポーツツーリズムの拡大が、皮肉にもスポーツそのものを脅かす気候危機を深刻化させているのだ。
この矛盾は、異常気象によるイベント中止という形で、すでに経済的損失として顕在化している。熱波、洪水、降雪不足、大気汚染といった気象現象は、スポーツ競技大会の開催を直接的に妨げ、メディア放映権と広告収入という業界の二大収益源に打撃を与える [1][3]。屋外競技は、プロスポーツにおけるメディア放映権収入の90%以上、スポンサーシップ収入の76%を占めており [1]、天候に左右されるリスクは極めて大きい。実際、放送事業者は契約書に「異常気象によるイベント不開催リスク」条項を盛り込むケースが増えており、これは広告収入の減少に直結する [1]。2025年のツール・ド・フランス開催前には、フランス各地で熱波が発生し、選手たちは猛暑への対応を余儀なくされた [1]。気候変動は、もはや仮定の話ではなく、現実のビジネスリスクとして認識されている。
スノースポーツ界では、事態はさらに深刻だ。スキージャンプ女子の髙梨沙羅選手は、「雪がないと競技自体ができない」と、競技存続の危機を率直に語っている [4]。この証言が示すのは、単なる不便さではなく、競技の基盤そのものが失われつつあるという現実である。北欧をはじめとする伝統的なウィンタースポーツの聖地でさえ、降雪不足は深刻化している [4]。降雪地帯の減少と少雪化は、今後さらに加速すると予測されており、冬季五輪やワールドカップといった大規模イベントの開催可能地域は、今世紀末に向けて劇的に縮小する可能性がある。スポーツツーリズムの成長を支えてきた「観客が現地に足を運ぶ」というモデル自体が、気候変動によって根底から揺らいでいる。
コミュニティレベルでも、気候変動の経済的影響は無視できない規模に達している。英国では、悪天候によるスポーツ施設の利用中止や維持コストの増加により、年間約3億2,000万ポンド(約4億3,300万ドル)の損失が発生している [1]。これは地域クラブやアマチュアスポーツの財政基盤を蝕み、次世代の競技人口減少にもつながる構造的な問題である。スポーツツーリズムが生み出す華やかな経済効果の陰で、気候変動はスポーツの持続可能性そのものを静かに、しかし確実に損なっている。成長と環境負荷、この二律背反をどう乗り越えるかが、スポーツ産業全体に突きつけられた喫緊の課題となっている。
日本スポーツ界の気候アクション最前線:Jリーグと日本財団の実践モデル
日本サッカー界は、気候変動に対して産業全体を巻き込んだ実践を始めている。Jリーグは2023年にサステナビリティ部を新設し、翌2024年には日本財団およびKPMGコンサルティングと「気候アクションパートナー契約」を締結した[4][6]。この契約は、60年以上にわたり社会課題解決に取り組んできた日本財団の知見とネットワーク、KPMGのサステナビリティ経営の専門性を結集し、リーグとクラブが一体となって気候変動対策を推進する体制を構築したものだ。野々村芳和チェアマンは「根本的に気候変動を食い止めるために何ができるか、サッカー界として本気で取り組む」と語り、今回の連携が「本気度を示す大きな一歩」であることを強調した[4]。
具体的なロードマップは3段階で設計されている。2024〜2025年は「サッカーと気候変動が関係している」という理解を広め、サッカーファミリーの意識変革に注力する第一段階だ[6]。2027年までの第二段階では、カーボンニュートラルを意識した選択と行動がサッカーファミリーのスタンダードとなることを目指す。そして2030年までの第三段階では、意識せずとも自然と気候変動の悪化を防げるような仕組みを、各クラブや地域と一体となって構築する計画である[6]。Jリーグサステナビリティ領域担当の辻井隆行執行役員は、「意識しなくても自然と気候変動の悪化を防げるような仕組み」の実現が最終目標であると述べている[6]。
実行施策として、Jリーグは2023年から年間約1,200試合の電力を実質的に再生可能エネルギーに切り替える活動を開始した[4][6]。これは全試合の電力由来CO2排出量を実質ゼロにする取り組みであり、リーグ全体で約15万トンのCO2削減に相当する規模だ。さらに2026シーズンからは、サッカークラブの気候変動対策を12項目で数値化・可視化する国際イニシアチブ「Sport Positive Leagues(SPL)」にアジアで初めて参画する[4][6]。この制度は2019年にイングランド・プレミアリーグから始まり、現在ではドイツのブンデスリーガやフランスのリーグ・アンなど欧州主要リーグが参加しているが、欧州では各クラブが個別に取り組む事例が多いのに対し、Jリーグはリーグとクラブが一体となって取り組む「コレクティブ」なアプローチを採用している点が特徴だ[6]。
各クラブへの支援も強化されている。日本財団からの助成金を元に、2025年度は各クラブ向けに上限400万円の助成金が新設され、気候アクション計画の策定や具体的な活動に活用される[4]。KPMGコンサルティング副代表の佐渡誠氏は「クラブは『プラットフォーム』として人や企業を惹きつけ、地域の社会課題をともに解決し、その地域を輝かせていくことに使命がある」と語り、スポーツクラブが持つ社会的影響力の活用を提唱する[6]。また、2025シーズンには初の「インパクトレポート」を発行し、気候アクション、インクルーシブな社会の実現、地域コミュニティの醸成という3つの重点テーマごとに、各クラブの活動がもたらした環境や地域社会への変化・効果を可視化している[6]。
一方、スポーツ界全体の動きとして、公益財団法人日本スポーツ協会(JSPO)も「環境保護の視点からみるスポーツの持続可能性に関する調査研究」プロジェクトを設置し、啓発活動を展開している[8]。JSPOは2024年度に3編の「スポーツと環境レポート」を発行し、国民スポーツ大会における環境保護・気候変動対策の実態や、2024年パリオリンピックにおける環境配慮の取り組み、そしてJSPO自身の令和5年度GHG排出量算定結果などを公表した[8]。こうした取り組みは、スポーツ団体自らが排出量を測定し、削減責任を果たす姿勢を示すものであり、競技団体レベルでの気候アクションが本格化していることを示している。
現場レベルでの意識変革も進んでいる。Jリーグ特任理事の小野伸二氏は、2024年から「Jリーグ×小野伸二スマイルフットボールツアー」を実施し、小学生とその保護者を対象にサッカーを通じてサステナビリティの大切さを伝える活動を展開している[6]。2025年5月時点で25回開催され、保護者を含め約6,000人が参加した。小野氏は「知ることで意識が変わった」と自身の経験を語り、「子どもたちやその保護者の方々も、こうした体験を通じて少しでも意識が変わり、それがやがて環境を守る行動につながっていく仕組みになればいい」と述べている[6]。こうした草の根活動は、スポーツが持つコミュニティとの強固な結びつきを活かした、長期的な行動変容の基盤となる取り組みだ。
産業としてのスポーツが担うべき役割:「コミュニティ資産」としての責務
オリバー・ワイマンのグローバル・スポーツ産業リーダーであるトニー・シンプソン氏は、Reutersへの取材で「スポーツは、コミュニティ資産として行動する力を持つ唯一のセクターだ。そして、コミュニティ資産であるならば、そのように振る舞う必要がある」と指摘している[1]。この発言は、スポーツがエンターテインメントや商業的価値の提供だけでなく、地域社会を構成する「公共財」としての責務を担うべきだという認識を示している。実際、スポーツ経済の成長がもたらす社会的恩恵には、医療費削減やジェンダー平等推進といった幅広い領域が含まれ、単なる経済成長を超えた価値創出が期待されている[1]。日本においても、地域密着を掲げるUリーグをはじめ、多くのクラブが地域との共生を理念に掲げてきたが、今まさに気候変動という社会的リスクに直面し、その理念の実効性が問われている。
日本では2012年時点で5.5兆円だったスポーツ市場規模を、2025年までに15.2兆円へと約2.8倍に拡大する目標が掲げられた[7]。この目標は、国策としてスポーツ産業を「コストセンターからプロフィットセンター」へ転換させるという方針のもとで設定されたものである。しかし、この成長シナリオは気候変動がもたらすリスク――競技中止の増加、選手・観客の健康被害、インフラへの物理的打撃――を織り込んでいない。オリバー・ワイマン報告は、若年層の運動離れと異常気象によるイベント中断が、2030年までに5,000億ドル(約71.7兆円)以上の収益喪失をもたらす可能性があると警告している[1]。気候対応なしには、日本が描いた成長目標の達成は極めて困難になる。
スポーツが社会課題解決の「ハブ」になり得るという視点は、KPMGコンサルティングの分析でも強調されている。同社は「スポーツは地方創生や環境対策などの社会課題に対し、ステークホルダーをつなぐ社会変革のハブになれる」と指摘し、41都道府県に60クラブを持ち、年間のべ約1,250万人がスタジアムに足を運ぶJリーグのポテンシャルを高く評価している[6]。実際、Jリーグはクラブと地域、企業を巻き込んだ気候アクションを展開しており、そのアプローチは「コレクティブ(集団的)」と呼ばれる。欧州リーグがクラブごとに個別に取り組む傾向があるのに対し、Jリーグはリーグ全体でマネタイズ支援やコスト負担の軽減を行いながら、全体で底上げを図っている[6]。この集団主義的な協働モデルは、日本ならではの強みであり、スポーツが産業として地域社会と一体となって社会課題に向き合う好例といえる。
シンプソン氏はまた、スポンサー企業の姿勢の変化にも言及している。「スポンサーはもはや、ユニフォームにロゴを載せるだけでなく、その投資が具体的な成果を生むことを求めている」と述べ、スタンダード・チャータード銀行によるリバプールFCへの支援を例に挙げた[1]。同行のスポンサーシップは、クラブによる女性・少女向けコミュニティプログラムやリサイクル促進イニシアティブの立ち上げにつながっており、財政的インセンティブが社会的成果を生む仕組みとして機能している。日本においても、企業がスポーツチームとの関係を従来型の広告出稿にとどめず、サステナビリティ実践の共創パートナーとして捉え直す動きが必要だ[6]。スポーツが「コミュニティ資産」として振る舞うためには、企業もまた「社会価値の共創者」としての自覚を持つ必要がある。
スポーツ産業が直面する気候リスクと成長目標の乖離は、単なる業界内の問題ではなく、社会システム全体の持続可能性に関わる構造的課題である。スポーツは数兆ドル規模の経済を動かす産業であると同時に、地域に根ざし、世代を超えてファンを結びつける文化的資産でもある。その二面性こそが、スポーツを他の産業にはない「社会変革のハブ」たらしめている。日本のスポーツ産業がこの責務を果たせるかどうかは、今後10年の選択にかかっている。
2050年の未来へ:スポーツが持続可能であるための選択
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江守正多教授が示したシナリオは、2100年には世界平均気温が産業革命前比で4度上昇する可能性を指摘している[4]。この予測が現実となれば、日本においても年間数百日がスポーツ実施そのものが不可能な高温環境となり、屋外競技の存続基盤が根底から揺らぐことになる。オリバー・ワイマンの報告書は、現在の傾向が続けば2050年までに最大1.6兆ドル、日本のスポーツ産業に換算すれば5,170億ドルに相当する経済損失が生じると試算しており[2]、これは単なる予測ではなく、現在進行中のリスクである。熱中症による救急搬送は2008年から2024年にかけて4倍以上に増加し、Jリーグの試合中止も2018年以降急増している現状[6]は、未来の危機が既に到来していることを物語る。この数字が意味するのは、スポーツが「いつかできなくなる」のではなく、「すでにできなくなり始めている」という現実だ。
Jリーグ執行役員の辻井隆行氏は「100年後の子どもたちにサッカーを楽しめる環境を残せるかどうかは、私たち次第」と強調する[6]。この発言には、スポーツ界が直面する二重の責任が込められている。一つは、気候変動によってプレー環境そのものを失いつつある「被害者」としての立場。もう一つは、大規模イベント開催、スタジアムのエネルギー消費、選手・観客の大量移動によって温室効果ガスを排出する「加害者」としての側面だ[4]。江守教授が指摘するように、スポーツは単なる被害者ではなく「当事者」として、自らの経済活動が環境に与える影響と向き合う必要がある。Jリーグは2023年から年間約1,200試合の電力を実質再生可能エネルギーに切り替え[6]、2026シーズンからは気候アクションをスコア化する国際制度「Sport Positive Leagues」にアジアで初めて参画する。これは、リーグとクラブが一体となって取り組む「コレクティブ」なアプローチであり、欧州の主要リーグにはない日本独自の強みとなりつつある[6]。
オリバー・ワイマンの報告書が示唆するように、スポーツ経済は2050年までに8.8兆ドルへと成長する潜在力を持つ一方で、その成長の前提となる環境基盤そのものが脆弱化している[2]。スポーツツーリズムの拡大、女性スポーツの成長、新興国市場の台頭といった成長ドライバーは、いずれも安定した気候条件と健全な自然環境があってこそ実現できるものだ。降雪地帯の減少、酷暑日の増加、大雨や台風の激甚化は、競技そのものの実施可能性だけでなく、観客体験、コミュニティの健康、インフラの安全性すべてを脅かす。世界経済フォーラムのセバスチャン・バックアップ氏が述べるように、スポーツは「経済的な力と文化的影響力を独自の形で融合させる数少ない分野」であり[2]、その影響力を持続可能な社会モデルの構築に向けることが求められている。
この危機を前に、読者一人ひとりが問われているのは、スポーツとの関わり方そのものである。スポーツ観戦の際の移動手段の選択、再生可能エネルギーを導入しているスタジアムの優先、気候アクションに積極的なクラブへの応援といった個人の行動から、企業によるスポンサーシップ方針の見直し、自治体のスポーツ施設整備における環境配慮基準の設定まで、あらゆるレベルで気候視点が必須となる時代が到来している。Jリーグ特任理事の小野伸二氏が「知ることで意識が変わった」と語るように[6]、変化の第一歩は現状を理解することにある。スポーツが持つ「プラットフォーム」としての力を活かし、人や企業を惹きつけ、地域の社会課題をともに解決していく仕組みが機能すれば、日本は世界に先駆けたモデルケースとなる可能性を秘めている[6]。
2050年まで残された時間は、わずか25年。この四半世紀の選択が、次世代がスポーツを楽しめる環境を引き継げるか否かを決定づける。オリバー・ワイマンの試算する5,170億ドルの損失リスクは、回避不可能な運命ではなく、今日からの行動によって軽減できる未来である[2]。Jリーグと日本財団の連携が示したように、リーグ主導の包括的な支援、各クラブの具体的なアクション、そして地域・企業・ファンを巻き込んだムーブメントが組み合わさることで、スポーツは気候変動対策の「解決策」となり得る。スタジアムに足を運ぶたびに、テレビでスポーツを観るたびに、私たちは選択を迫られている。それは、目の前の勝敗だけを見るのか、それとも100年後の子どもたちがプレーできる環境を守る当事者になるのか、という選択である。
参考文献 / Sources
https://www.newsweekjapan.jp/headlines/business/2026/02/588727.php
https://real-sports.jp/page/articles/202506041/
http://jp.mobile.reuters.com/world/environment/RWBJOWS2ZBP7JOMKPZPHJAZN6U-2026-02-26/
https://kpmg.com/jp/ja/insights/2025/07/case-climate-jleague.html
http://www.kpmg.com/jp/ja/insights/2026/03/sports-business-markettrends.html
https://www.japan-sports.or.jp/medicine/news/tabid887.html?itemid=5163
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